時速36km
- Keiko Hisaoka
- 2018年8月28日
- 読了時間: 4分

YouTubeで“七月七日通り”のMVを観て知った、東京江古田発4人組ロックバンド、時速36km。この曲を初めて聴いた時、麻痺していたはずの感情が動き出して、なんだか少し、世界が揺らいだような気がした。「七月七日通り」?そんな小洒落た名前の通りが東京にはあるのか、と思ったがそうではないらしい。ベース・荻野がこの曲について自身のブログ内で、『「通り」は「思い通り」とか「言う通り」とかの「通り」の意味のほうがしっくり来る。』と綴っていた。『七夕はみんなが願い事とかを短冊に書いて、叶うわけないと思ってるくせに叶いますようにと願う日で、本当はその「通り」になればいいのにね、みたいな意味もありだなって』。大して変わり映えのない毎日を送って、そこそこの生活で、そこそこの毎日で、そこそこに満足したふりでいる。それでも日々違和感があって、一抹の不安や葛藤がいつも消えなくて、それでも毎日同じ電車に乗って、学校や仕事に行っている。彼等はそんな、みんなじゃなくても、ひとりじゃないひとたちの感覚を共有してくれている。
つい先日、関西で行われた彼等のライブを観に行った。爆音と隠さない言葉が矢のように飛んできて、私の心は時速36kmに完全にぶち抜かれてしまった。対バン相手がステージ上で「あなたの人生に絶望も悲しみも必要ない!」と叫んでいた。まあ確かに、できるだけそういうものから離れて生活したい。でも、それらはある。仕方ない。避けては通れない。楽しいだけで生きれたらいいけどそんな訳ない。生活の中にある絶望や悲しみや、もう叶わないこと、引きずってしまうこと、簡単に分別がつかないもの、そういう「シラフじゃ受け止めきれない」日々を嫌だ嫌だといいながらも、ちゃんと生きて、生き続けてる姿が、わたしには、すごくあたたかい。ひとりじゃないな、とおもえる。
そしてこの感覚がひとえに、この時代に、この国で生き、音楽を鳴らすバンドの価値や意義を確かに証明しているのだと思う。例えば、飲みすぎた翌日、授業をサボッちゃうとか、そういう、だらしない部分を捨てない大切さ、大人になるって大人になっても未だによくわからないけど、そういったものを雁字搦めに守りたくないよね、ほんとはさあ、みんなそうでしょう?と言われる感じ。きっと、この感覚は、失くしちゃいけない。会社員のあなたも、お母さんのあなたも、受験生のあなたも、フリーターのあなたも、全員に必要だと思う。理不尽なこととか、ムカつくこと、いっぱいある。人間関係とかお金の事とか世の中の幸せの価値観とか、人を信じることと自分を信じることの難しさとか、人との関わり合いとか、悩む事も、考えないようにしている事も、残念ながら、いつまでもなくならない。なくならないからこそ、気休めが欲しい。それが「みんな何やかんや言いながら頑張ってるな、もやもやしたりぐずぐずしてるの私だけじゃないよな、みんなそうだよな、まあもうちょっとやってみるか」だと思う。
時速36kmは、愛想や媚びといったものから一番離れた場所にいる。わたしは愛嬌や甘さで取り繕って、ほんとうのこと、なにひとつ言葉にできなかったり、黙って笑ってばかりいて、自分で言うのもだけど、とってもダサい。だから彼らを見ていると胸がヒリヒリする。こうやって思ったまんまを口にして、感じたまま顔に出せたらいいのに、って羨ましいな、とも思う。普段のわたしには難しいことなのだけど、時速のライブを観たあとはいつも、すこし、いつもより、楽しいときに笑う、とか、嫌なことを言われたら笑わない、とか、そういうことがすこし簡単にできるようになります。彼等は人の背中を押したり、優しい言葉で慰めたり、希望を見せてくれたり、そういうバンドではない。ただわたしたちと同じ世界で、変な閉塞感を感じながら、同じ社会を生きている。時代感をリアルタイムで取り込んで、全力でロックンロールを引き寄せる。誰にでもできることではない。叶わない夢や理想と現実との狭間で足搔いたり諦めたり夢を見たり絶望したり、その中で何一つ自分を大きく見せようと威張ることなく、「そのまま」で戦いを挑む彼等は愛おしくて魅力的に映る。
今年11月7日にはバンド史上初の全国流通盤CD、「まだ俺になる前の俺に。」がリリースされる。数々の大型サーキットフェスに引っ張りだこの時速36km。青春とか衝動とか青臭さとかとかやるせなさとかとか、ロックバンドをロックバンドたらしめるこれ以上ないくらいのロマンを握りしめた彼等の音楽は、来年、再来年、着実に早いスピードで、未だ見ぬリスナーの心を次々と奪い去っていくはずだ。
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